第5章 1939年、昔の舌と舌打ち
私はかまどの熱がまだ残る丸パンをポケットに入れていた。18歳の知性が丸パンの熱と香ばしさを、事務所で最初の空腹に襲われるまで保存する方法を考えたのだろう。
かまどと私の身体で暖まったパンは、とても美味かった。そして、トイレで吸った煙草も叉素晴らしい味がした。煙草は毎朝家を出た後に2本買い、もう一つのポケットに入れてあった。自転車にまたがり、ミラノ通りを走り、国鉄のガードを潜って砂利道を少し行くとサラミ工場に到着する。それは農業の町クレモーナで農業と関連する唯一の産業だった。空気を引き裂く豚の悲鳴が入り口で私を迎える。肉の加工場と事務所を隔てる広い中庭を自転車に乗ったまま通り過ぎ、工員ではなく経理だった私はタイムカードを押す必要もなく、毎朝決まった時間だけ遅刻して自分の机に着いた。
事務所の中には1ダースほどの机が壁に向かって2列に並んでいた。そして事務長は大きな覗き窓から、机におおい被さる私達の背中を見張ることができた。
事務所は禁煙だった。たぶん、空気中を満たしていた豚の悪臭を汚さないための処置だろう。9時と11時に私はトイレへ煙草を吸いに行った。そして更衣室にしばらくひそみ、サラミ工場で唯一の女性ミチェッタの服に顔を押しつけ、香りを吸い込んだ。ミチェッタには、更衣室で上着を脱いで黒い上っ張りを着るために、遅れて事務所へ入ることが許されていた。
彼女は2つ隣の机で働いていた。私は彼女に惚れ、消しゴムを借りてばかりいた。消しゴムなど必要なかったが、身体を屈めてそれを取る時に彼女の髪が私の頬を撫でた。
更衣室にある彼女の服は、肥やしを撒いた畑で揺れる、香り高い麦穂のようだった。私は毎朝その香りを吸い込み、その結果、ミチェッタに消しゴムを借りてばかりいた。ある日事務長は私を呼び、書き間違いを少なくするか、文具室から消しゴムを貰って来るように言った。しかし私はミチェッタの所へ行き続けた。その度にミチェッタは赤くなり、それが私に期待を抱かせた。
ある日曜日に彼女がミラノへ行くという情報を得た。私は彼女を乗せた列車がミラノへ着く時間を調べ、その7時間前に自転車でクレモーナを出発し、ミラノ駅で待ち伏せた。ひさしが影を落とす歩道に私を見つけた彼女は赤面し何も言わなかった。そして恥ずかしそうに挨拶しながら通り過ぎ、歩き去った。彼女が赤面するのを見るために、自転車でミラノまで行ったことになる。
午前中、サラミ工場での仕事は500頭の豚を絞めるリズムと同調していた。3時間におよぶ豚と包丁の忌まわしいコンサート。そして静寂の午後。なぜなら午後になると豚は粗挽きソーセージやサラミ、ハムに姿を変え、私達事務員はそれらを数字に変えていった。
豚と言えば尻尾に至るまで利用できることで有名だ。このサラミ工場では舌以外は全て売りさばき、闘牛のしきたりと同じように、舌だけは従業員に配給された。こうして私は月に1度の給料と週に1度の舌を貰っていた。母はそれをロースト、煮込み、スペッツァティーノ(※小さく切って煮込んだ料理)、茹で上げ、甘酘ソース掛けにした。塩漬けになった舌は1キロくらいもあった。残念ながら我が家は3人家族だったので、何年にもわたり、ほとんど毎日舌を食べなくてはならなかった。
雨が降ると事務員達は長靴を履いて出勤した。更衣室に入ると自分の洋服掛けにレインコートを吊るし、その下に長靴を置く。整列した長靴は、ピカピカ光る巨大なゴキブリの軍団に見えた。
ある日私は煙草を吸ってニチェッタの香りをかいだ後に、長靴の場所を全部変えてみた。事務員達はすぐに私の悪戯だということを発見した。なぜなら私だけが長靴を履いて行かなかったから。彼らは事務長に注進し、事務長は硝子越しに私を注意して見張るようになり、その結果、顎の下の鉛筆システムを発見するに至った。それは必要から生まれた工夫であった。毎日午後2時頃、古典的な眠気が私を襲う。そのため、事務長に見つからないよう机に着いたまま、動かずに数分間眠る方法を編み出す必要に迫られた。私は鉛筆を大きな消しゴムに突き刺し、消しゴムを顎に当て、反対側を机に突いた。右手にボールペンを握り、左の肘を分厚い帳簿の上に突き、顎、消しゴム、鉛筆間のバランスを完全に取れる体制を確保した。そして計算機を倍率機に繋ぎ、左手の人指し指で計算機のタブレターを押したままにしておく。こうすると機械は何時までも動き続けた。機械の奏でる一本調子の音楽が、丁度よい子守歌となった。この体勢で背中を事務長に向け、私は寝ていた。
ある日私は息苦しくなって目が覚めた。すると計算機から吐き出された紙テープが、私を完全に包んでいた。この事件により私は罰を受けた。しかし同時に賞与を貰ったようなものだ。なぜならその週は塩漬舌をカットされた。
ある朝、『事務長に捧げる舌打ち大会』が事務員の間で催された。もちろん事務長が不在の時に。任命された審判が規則通りにそれぞれが発する舌打ちの長さを計り、判定を下した。競技は年齢順に行われ、最高齢者から始まり、最年少者で終わるはずだった。そして私の番となり、舌打ちしている所へ事務長が入ってきた。
私は解雇された。
9月の青白い日、舌打ちの音と豚の悲鳴を引きずって、私はサラミ工場を後にした。
最後の塩漬舌を引き取る私を、窓からニチェッタが微笑んで見ていた。
牛舌の煮込み
生の牛舌を使う場合は、たっぷりの塩を振って、少なくても48時間おくこと。塩漬けの舌なら、そのまま調理に取りかかれる。舌をたっぷりの水と共に鍋に入れ、約1時間火にかける。1枚目の皮が簡単に剥けるようになるまで。
皮を剥いたら、包丁の先で全体を刺し、生ハムの脂肪をそこに差し込む。
ペースト状にたたいたパンチェッタ(※塩漬け豚肉)100グラムと、細かく刻んだ玉葱2個分を、バター70グラムで炒める。皮を剥いて、小麦粉をまぶした牛舌を加え、時々赤ワインを振りながら炒め続ける。赤ワインは多くてもコップ1杯程度。ブイヨン1リットル(叉は水1リットルに固形ブイヨン)、月桂樹の葉数枚、クローヴス数本、マジョラム少々、ブーケガルニ(パセリ、セロリ、人参)を加える。塩、胡椒を振り、弱火で少なくても2時間煮る。
煮上がったら舌を取り出し、煮汁を中に入っているものと一緒に裏漉してソースとする。ソースにバター30グラム(濃度が足りない場合は、小量の小麦粉と練り合わせて)を溶かす。
5分間ソースを煮て、舌に掛ける。
便利なお知らせ
この料理が余った場合は、仔牛のロースト・ゼラチン掛けや鶏の詰め物に最高だということを覚えておこう。
仔牛の舌の甘酘ソース
沸騰した湯に舌を入れて茹でる。皮が簡単に剥けるようになったら、ちょうど良く煮えた証拠。取り出して皮を剥き、適量の塩を加えた水で再び煮る。同時にソースの準備を始めよう。コップ2杯の辛口白ワインに小麦粉大匙半分、松の実1掴み、干し葡萄25グラム、潰したマカロン(※クッキーの一種)2個、砂糖大匙1杯、すりおろしたレモンの皮少々を加える。全てを6分間沸騰させる。
煮上がった舌を薄く切り、鍋に並べて、ソースを掛ける。火に掛け、5分間煮る。
さらに便利なお知らせ
『甘い』より『酸っぱい』のを好む人には、白ワインをコップ1杯だけにして、白ワインビネガーをコップ半分と砂糖を更に大匙1杯加えると良い。
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