第3章 1935年、髭のじいさん
私の良く知るクレモーナ(※北イタリアの小都市)があった。小石を敷き詰めた細い道が縦横に走り、馬車道の中央には狭い敷石の帯が続く。今はなきクレモーナ。
何年も何年も前、その敷石の上を、髭のじいさんが押す木の荷車が、行ったり来たりしていた。その上には牛乳がいっぱい入ったドラム缶2つ。車輪を2つしか持たない荷車が、横木にしがみついた髭のじいさんを跳ね上げて、ひっくり返らないように、缶はバランスをとって置かれていた。
緑色に塗られた荷車の車軸は横に飛び出しており、私はしばしばその上に立ったままクレモーナを1周することができた。私の乗った車を押しながらじいさんは、家々の窓と風邪に向かって「テエエエエ!!」と叫ぶ。「ラッテ(※牛乳)」と言っているつもりだったのだろう。
これは少年時代の、最も楽しい想い出の1つとして、私の中に残っている。当時自動車はまだ幻であり、路面電車も限られた人だけに許された贅沢だった。路面電車と同じ緑色の荷車に乗ってうろつくのは、少なくとも歩くよりはずっと良かった。その上髭のじいさんは、真鍮のらっぱをよく吹かせてくれた。私は荷車で巡回する小さなトランペッター!
全ての住宅の入り口や大きな門の前で私達は止る。「テエエエエ!!」、髭のじいさんの叫びがポーチに、吹き抜けの階段に響き渡り、トランペットの長い一吹きで私が後を追う。するとたくさんの女達が、手に手に鍋を持って出てきた。そしてじいさんは柄杓で牛乳をすくって升に入れ、それを鍋に移した。
じいさんの黄色がかった濃い牛乳は、その後に私が飲んだどんな牛乳よりも牛乳らしい味がした。
売り歩く前日には、中庭に面した涼しい部屋で牛乳を保存した。髭のじいさんの家は当時のクレモーナに典型的で、現在なくなろうとしている種類の建物だった。昔はそんな家がぽつぽつ建っていた郊外も、今では市街地となっている。
夜になるとその涼しい部屋で、牛乳に浮かぶ蝿を取ってじいさんを手伝った。それもまた楽しかった。50匹取るごとに小遣いをくれた。
牛乳の中で、家族が使うバターを作るためのものは別にしてあった。そこにはより多くの蝿が集まる。なぜならそれは味が濃く、蝿の食欲をより刺激する牛乳であり、その上、口の広い銅の桶に入っていたため蝿の着地には完璧な滑走路となった。
牛乳を売り歩く髭のじいさんは、とても楽しそうだった。家々の前に止る度に自分自身を表現していた。彼は地区の人々と一緒に暮らしていたようなものだ。みんなの浮き沈み、悩み、望み、悲しみ、楽しみを知っていた。いつも彼は1人1人にかける言葉を持っており、みんなは彼のための言葉を持っていた。誰が熱を出し、誰が出産し、誰が浮気し、誰が死に、誰が引っ越して来たのかを知っていた。毎日が長大な小説の1ページを読んでいるがごとく。人生という名の小説。
しかしある日、衛生上の理由から、髭のじいさんは荷車を放棄するはめになった。店で売ることを義務付けられたのだ。
店を構える誇りもなく、彼にとっては人生最大の苦しみとなった。刑務所に入れられたようなものだ。荷車を引く彼の鼻髭は、ピンと上を向いていたような気がする。しかし牛乳店のカウンターで寂しそうに座っていた時には、意気消沈した鼻髭はじっと下を向いていた。
客が買いに来ても、彼はちっとも嬉しくなかった。入院した大部屋に、たくさんの親戚が見舞いに来るようなものだ。そして何よりも、牛乳が瓶入りとなり、それを渡すだけというのが気に入らなかった。もう使い慣れた柄杓をふるって仕事ができない。のみを取り上げられた彫刻家に似ている。そしてついに我慢できなくなった。
ある晴れた日、牛乳店を売りに出して石炭屋を始めた。彼の素朴な考え方からすると、売る商品の色まで完全に変えたかったのだろう。白から黒へと。彼が牛乳とかけ離れた商品を選んだのは、炭なら絶対缶詰にできないと考えたからではないだろうか。そして、少なくとも炭に蝿はたからない。家から家へと荷車で炭を売り歩き、再び『計り売り』を取り戻す夢を見ていた。缶詰、進歩、テクノロジーへの抵抗。
しかし、じいさんは髭が下を向いたまま死んでしまった。1つの缶のせいで。爆発する缶。彼が寝ている部屋に、ある日爆弾が飛び込んだ。
テクノロジーはじいさんを憎んでいたのだ。今では髭もなくなった、可哀相なじいさん。
牛乳で作るお菓子、クレーマ・ブルレ
材料
卵・・・12個
バニラ
牛乳・・・1リットル
生クリーム・・・少々
砂糖
これこそまさしくじいさんが、まだ髭が上を向いていた頃に好きだったお菓子。
そしてこのデザートは、どんな髭でも上を向かせるだろう。
卵の黄身だけ12個と砂糖大匙12杯をボールに入れる。サバイオンの要領で泡立て、バニラ、生クリーム、牛乳を加える。
良くかき混ぜ、軽くバターを塗ったグラタン皿に流し込む。30分間休ませ、表面に浮いた泡を取り除く。湯煎にかけ、200度のオーブンで40分焼く。
固まったら取り出し、表面の焦げた皮を取り除く。もしこの作業が難しかったら、いつも私がするように、そのまま放っておいてもいい。
小鍋に100グラムの砂糖を溶かし、カラメルを作る。クレーマの表面にそれを流し、食べるまで冷蔵庫で保存する。
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