第2章 1932年、ゴルゴンゾーラはノー・・・

 クレモーナ(※イタリア北部の小さな町)の祖母が泣いていた。理由は父がゴルゴンゾーラ(※ブルーチーズの1種)を食べなかったから。
 それは母方の祖母、要するに私の母の母であった。彼女は父と話す時に敬語を使っていた。なぜなら父はミラノ出身で、その上保険代理業をやっていた。それらの事実を祖母は引け目にも感じていた。結局のところ、ゴルゴンゾーラの拒否は大都会出身者の田舎に対するさげすみだった。
 1932年のこと。クレモーナは不幸をもたらすと父は言っていた。彼が愛車の509スパイダー(あまり4人家族に適した車ではなく、旅行の度に私はセルロイドの後部窓にへばりつき、横たわっていなければならなかった)で走っている時に、クレモーナ・ナンバーの車とすれ違うと、片手で睾丸を握り(※魔除けのおまじない)片手だけで運転した。
 彼はクレモーナで母と知り合ったというのに。しかし、まさにこのためかもしれないという疑問が、私の中で頭をもたげる。
 父は兵隊としてクレモーナに駐屯していたことがある。恐らく自由時間に外出したおりに母と出会ったのだろう。兵舎に戻る前、夜の8時から9時の間に、彼女を壁に押しつけて妊娠させたに違いない。そうじゃなければ何故母は、私が7か月目に生まれたなどというでたらめを言い続けたのか? 母は聖女のようだった。そのため、すでにこの世にいない。非常に育ちが良かった。だからすでにこの世にいない。私の父に惚れた。たぶん理由は彼がミラノ出身で、ジルドという名前だったから。そしてなぜなら彼はゴルゴンゾーラを食べなかったから。結婚後しばらくしてから母は再び妊娠した。今度はすべて規則通り、ちゃんと9か月後に妹が生まれた。
 こうして家族が出そろった。その頃父はクレモーナ県の田舎でオイルを売っているのが嫌になった。なんといっても彼は『ミラノ人』なのだから。そして都会人に相応しい仕事である保険代理業を始めた。家族はまずベルガモ、続いてバッサーノ・デル・グラッパ、ティエネ、パドヴァ、最後にヴェローナへと引っ越した。父は何を思ったのか、雹が農作物にもたらす被害に対する保険を勧誘していた。そのため農民から疫病神と見られ、勧誘の対象がすぐにいなくなり、私達は常に引っ越しを強いられた。父が家にいないときは、いつも勧誘に出かけていた。彼を見かけることは稀だった。仕事から戻ると、非常に深刻な顔をする。私達は彼がミラノ生まれだから、いつもまじめなんだと信じていた。しかし実際には、勧誘がうまくいかなかったから深刻な顔をしていたのだろう。
 父は仕事に成功する度に、家具を替え、服を替え、そして町を替えた。
 しかし始めて家族をミラノへ連れいく前に、父は珍しくも全員の服を新調した。幸せに包まれた母は、自分で自分の見分けがつかないほど美しく変身していた。そしてドウォーモ広場の地下道で鏡に激突することになる。
 ある年の3月23日、私の誕生日に父は私達をクレモーナへ連れていってくれた。わたしはバリッラ少年団(※ファシズムの少年訓練組織)の制服を着、妹はピッコラ・イタリア(※ファシズムの少女版)、父は手織りの毛織物、母は・・・記憶にない。
 そしてクレモーナの祖母が泣いていた。なぜなら父がゴルゴンゾーラを食べなかったから。


じゃがいものニョッキ、ゴルゴンゾーラ風味

1キロのじゃがいもと100グラムの小麦粉でニョッキを作る。ニョッキは家で作るもの。誰でもその作り方は知っているはずだ。しかし、どうしても作る気がしない人には、専門店で買うことを許可しよう。

材料
ニョッキ 500グラム
ゴルゴンゾーラ・チーズ 50グラム
バター 50グラム
生クリーム コップ半分
ピスターチオ 1つかみ
ブランデー 少々
もちろん塩と胡椒

ピスターチオを小量のぬるま湯につける。ふやけたら皮を取り除き、すり鉢で潰すか包丁で細かくたたく。ゴルゴンゾーラとバターを小さく切り、ボールに入れて湯煎にかけながら、木のしゃもじでかき混ぜる。全部溶けたところで生クリームを加え、さらに5分間混ぜ続ける。塩を振り、ブランデーとピスターチオを加えて湯煎から下ろす。
熱いニョッキにこのソースをかけ、挽きたての胡椒を振る。
卒倒すること請け合い、ほんとーに。



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