 DOCの封印がされたアスパラ |
ウェイターに運ばれてきた楕円形の皿には丸々と太ったホワイトアスパラが7本と茹で卵が2つ乗っていた。なんとも奇妙な取り合わせである。アスパラは茹で上げただけで、味付けした様子もない。
ヴェネツィアの北西約50km、ポー川の平原がアルプスの端にぶつかるあたりにDOC(ECが認める原産地呼称)のホワイトアスパラで有名な町バッサーノ・デル・グラッパがある。私がたまたまそこを訪れたのは5月の初め、丁度アスパラ・フェスティバルと称して地元の各レストランがアスパラを素材とした様々なメニューで競い合っている時だった。早速聞き込んだ老舗のレストランに入り、まずは一番代表的なものをと思い「アスパラガスのバッサーノ風」をオーダーしたところ出てきたのが冒頭の一皿だった。
茹で卵をおもむろに2つに切って、口に運んでいるとウェイターが「あ!だめです」と叫びつつ走り寄ってきた。そして茫然とする私を横目にナイフとフォークで(私の)茹で卵を細かく潰し始めた。次に塩、胡椒を振る。「ははあ、茹で卵に味付けしてくれているのか」と思っていると、以外にもワインビネガーとオリーブオイルをたっぷりと注いでフォークで混ぜている。その時初めて気付いたが、皿の茹で卵が乗っている部分は窪んでおり外に流れ出さないようにちゃんとできていた。どうやらこの料理のために作られた皿のようだ。初老のウェイターは出来上がった茹で卵入りビネグレットを万遍なくアスパラにかけるとにっこり微笑んで立ち去っていった。後に知ったことには、18世紀、あるヴェネツィア派の画家が残した絵にすでにバッサーノ風アスパラが描かれている。長い歴史を誇る一皿なのだ。何も知らずに茹で卵だけ食べようとした私はウェイターにとって歴史の冒涜に等しかったのだろう。
この地方にはホワイトアスパラの起源に関する伝説が一つ残っている。紀元1500年頃、初夏のある日に激しい雹が振り農作物が壊滅状態になった。食べるものがなく困り果てたある農民が芋でもないかと土を掘り返してみると、まだ白い野生のアスパラガスを見つけた。成長して地上へ出た緑のアスパラは雹にやられてしまい、まだ幼く土中の白いアスパラだけ残っていたのだ。持ち帰って食べてみるとこれが旨い。普段食べている緑のアスパラよりずっと旨いではないか。こうしてまだ地上へ頭を出す前の「ホワイトアスパラガス」を食べる習慣、続いて栽培が始まったと言われている。
伝説の真偽は別として16世紀にはすでにこの地方でアスパラを栽培していたという証拠がいくつか残っている。その内の一つ、バッサーノのアスパラを一躍有名にしたのが「トレントの公会議」(これがなにか忘れた人は物置に眠る歴史の教科書に尋ねてみよう)にまつわる話だ。マルティン・ルターが引き起こしたプロテスタントの嵐が吹き荒れる16世紀半ば、バッサーノに近いトレントで行われたこのカソリック公会議にはヨーロッパ中から枢機卿、司教など偉い坊さまが集まった。トレントなどという小さな町では当然坊さま全部を収容しきれず、バッサーノにも大勢が滞在した。当時、公会議に出席する程の坊さまは上流階級に属しており「美食」を知る人種であった。それがアスパラの旨さに驚いた。そして会議が終わりそれぞれの地方、国に帰るとバッサーノで食べたアスパラの美味を吹聴して回ったという。
しかし、現在北イタリアのかなり広い地域でホワイトアスパラが栽培されているのに、DOCに認定されているのはこの地方産だけで、食通は遠方から買い求めに来るのはなぜだろうか?バッサーノ産は他に比べて甘味が豊かでほのかに苦く、食べ比べるとすぐに違いが分かるという。柔らかくて根本まで全部食べられるのも特長だ。
その理由の一つは地質が適していること。町を流れるブレンタ川が長い年月をかけて旨いアスパラを育てるべく成分を全て含んだ砂地を堆積した。もう一つ、より重要な要素は気候だ。アスパラガスは湿気を嫌う。ポー平原を覆いつくす冬の霧は有名でしばしばミラノに到着するはずの飛行機をトリノやジェノヴァに回避させ日本人観光客を困らせるが、この霧が北方のバッサーノまでは届かない。ほんの数キロ南にある町は一寸先も見えないほど真白になるのに。そして北側には山脈があり北風から守られている。こうしてみると、霧の北限から山脈までの狭い地域でしかほんとうに旨いアスパラはとれないことが分かる。
収穫されたDOCのアスパラは地元にある3つの生産者共同組合が全て取り扱っている。一部は直営店で売られ、残りはレストランや八百屋に卸されるが他の地域に出荷することはないという。それだけ生産量が少ないのだ。食べたければそこへ行くしかない。収穫シーズンは短く4月、5月の2か月間だ。この頃には国道沿いに木の台を置き、前日収穫したアスパラの束を積み上げて売る風景も見られる。運良くこの時期にイタリア旅行する人がいたら幻のホワイトアスパラを求めて、アルプスの麓まで足を延ばしてみよう。アスパラを一口食べた瞬間「来てよかった!」と思うだろう。
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